そんなシーズン (お侍 拍手お礼の五十六)

 


並木に連なる練り絹の緋錦や、
傾斜
(なぞえ)へと枝垂れる優しい緋白。
水際から伸びる若い枝が、
川風に揺れる優しい風景は、
どんな人にも既視感もて馴染まれており。
凛とした風情をもって、
あれほど威風堂々と咲き誇っていた さくら花だのに。
ラベンダー色の空にいや映えていた淡緋の花々、
ほんのかすかな風にさえほどけてのこと、
他愛なくも 宙へとこぼれ散る頃合いとなった。
あまりに忙しく、
そこへ咲いていることには気づかなかった人であれ、
ひらはらと止めどなく、ただただ降りしきる花びらの乱舞には、
ついつい足を止め、顔を上げるほど。
陽気は濃くなったのに、
ああ春が往ってしまうのだという寂寥が、
言いようのない感傷を呼び。
いつまでも際限
(きり)なく降りしきる、
散華の雨から目が離せずに。
つい佇んでしまう、春の夕暮れ…。



    ◇◇◇


社会人の方が先だった新年度。
すぐにも学生さんの新学期も始まって、
街なかには威勢のいい速足で進む雑踏が生まれ、
オフィス街を新緑が縁取る頃合いまではそれが続く。

 “ここいらの桜も、葉桜になり始めているのだな。”

一応は都内の住宅街で、
町角を彩る緑も大半は人工的な植樹によるもの。
それでも長年かけて馴染んだそれらは、
風景の中でやさしい存在感を醸しており。
公園や公民館に据えられたメインツリーが、
二本に一本は桜なのも、
セオリーといやセオリーだけれど。
ここで生まれた世代には、
間違いなく思い出の樹となるに違いなく。

 『いけませんね、この時期は』

丁度 商店街への行き来の道なりに、
若すぎず古すぎず、
そりゃあ沢山の花をつける桜の並木があるんですよ。
花が盛りの時期は、おお見事だなと一通りを眺めて気が済むのですが、
今頃のはらはらと散っている時期は、
花びらがいつまでもいつまでも風の中に舞い続けているものだから、
そのエンドレスへと、
こちらもつい眸が奪われたまんまになってしまって…と。
困ったことだと眉を下げ、
苦笑交じりに語っていた女房殿だったのを思い出す勘兵衛で。
これがそれだろう、街灯に照らし出される桜の梢を見上げれば、
成程、盛りの時期の夜桜以上に物寂しい印象が滲んでおり。
だが、辺りの暗さへ逃げてしまう分、
七郎次が胸を衝かれたと語った、
昼間や黄昏どきほどの圧巻でもなさそうな。

 “それとも、個人差というものか。”

自慢にしちゃあいけないことだが、
あの繊細な連れ合いほどには、
こういった何げないことへ注意を払えぬとの自覚が勘兵衛にはあり。
それが必要とされる務めの最中ならいざ知らず、
何でもないときは、
もっぱら自分の関心のあることへしか耳目も向かぬ。
ほらと示されれば、成程と感じ入ることも出来ようが、
そうでなければ…そうと言って頬笑んでくれそうな人の方へこそ、
視線も関心も向いたままだろことが、
自分でも重々察せられての苦笑がやまぬ。
そうこうと想い巡らせつつ歩み続ければ、
さして刻を隔てぬうちにも、愛しい我が家へ辿り着いており。
門柱や玄関ポーチへの明かりこそ灯されていたけれど、
微妙に遅い時刻ゆえ、

  ―― 帰ったぞ、とは告げ難く

声はかけずの そおとの帰宅。
実はそちらこそが本業なのへと添ってのこと、
気配を消しての跳梁・暗躍、容易にこなせる身なのでと。
仰々しい忍び足を構えずとも、足音もなく上がるくらいはお手のもの。
居間の方へと連なる明かりに導かれ、
いつものようにそちらへ向かいかかった勘兵衛だったが、

 「……?」

そういえばと不審を覚えたのが、
今宵のような徒歩での帰宅であれ、
必ず気づいて玄関まで出て来る誰かさんの姿が見えぬ。
うたた寝でもしているものかと納得仕掛かったのとほぼ同時、

 “…これは。”

それもまた、呼吸の級にて身に添うた感覚、
まだ距離のあるそちらから、どこか何かただならぬ空気を感じ取り。
遅くとも起きていよう家人の気配を探りつつ、
足早になっての廊下を辿れば、

 「…、七郎次っ。」

いつ戻ってもそれは居心地のいい空間であったはずの、
柔らかな明かりが灯された居間の一角。
刳り貫きの戸口のすぐ手前に、座り込む人影がある。
掛けた声へとその肩が震えたのがありありと見え、
表情なくしての悄然としていたものが、
こちらを見やると一転、切迫した様子で立ち上がり、

 「勘兵衛様っ。」

恐慌にとりつかれた態で、
ただただしゃにむにすがりつく彼なのが、
こちらの心持ちをも掻き乱す。
少しでも深い安堵を求めてか、
ただ掴まりたいという以上、
こちらの懐ろ深くまで、その身をねじ込み擦り寄って来るなんて。
日頃の慎み深い彼には まずあり得ない強引さであり。
立ち上がり切れない彼へと合わせ、
膝を突いてのその身を受け止めてやり。
落ち着きなさいと頬に手をやって、
白いお顔をあらためて覗き込めば、

 「勘兵衛様、」

日頃は落ち着いた光たたえるばかりな
青玻璃の双眸が不安げに揺れる。

 「如何したのだ。」

訊いてもかぶりを振るばかりで、一向に要領を得ないことが、
ますますと途轍もない一大事を思わせて。
肌と肌とを合わせれば、いまだに含羞みつつも細い吐息をつくような。
そんな初々しさやら奥ゆかしさが、今はすっかりと失せており。
つややかな金の髪も、やつれたように毛羽立たせ、
一刻も早くにここから連れ去ってと、言わんばかりのすがりようは、
正規の任務こそ こなさぬ身であれ、
証しの一族の宗主に最も近くへ寄り添う者としての自覚も得、
大概の事態へ冷静に対処を執れる彼には あり得ない級の狼狽であり。
一体何ごとが、この…勘兵衛にとっての最愛の彼へと降りかかったのか、
どうしてこうまで怯え切っている彼なのか。

 “……怯えている?”

痛いや辛いは誰にも悟らせまいと耐える彼だ。
体調が悪い場合も以下同文で、
自身のではない、誰かの一大事だという事態にあっては、
迷う間もなくの機敏に動き出して、
最善の手を打つだけの行動力を誇る君でもあり。


  ――― となると?


向こうからのしゃにむな擦り寄りへ、
こちらからもぎゅうと。
何かから庇うようその懐ろへ深く取り込み、
双腕でくるみ込んでの抱き込めてやり。
形のいい頭へ大きな手を伏せたのは、
そのままそこへ顔を伏せていよとの指示代わり。
へたり込んでた彼だったのへ、
その背後を透かし見やり、
そのままザッと周辺を見回すと、耳を澄まして目を凝らす。
………と、

 「……っ。」

確かに拾えた“気配”があって。
七郎次にも届いたものか、
ひくりと大きく震えたその身、触れさすものかとますます抱き込めながら、

 「…どうして連絡してこなんだのだ。」

間近になった耳元へと囁けば、
項垂れながらもふりふりと、
細いうなじをよじってかぶりを振るのが、何とも痛々しくて。

 「何の障りがあるという。」

草を寄越して手を打ってやったものを…。
そも、奴らは何をしておった。
こんなときに立たんでどうすると、
勢いづいたよに いきり立ちかかる御主のお顔を見上げた女房、

 「そのようなワケには参りませぬ。」

このくらいのことへ駆り出されては、皆様だとてお気の毒…と。
気を張っての箴言紡いだ七郎次へ。
何を強がりをと言い返しかかった勘兵衛だったが。
見下ろしたお顔の、緋色の口許の震えへは、憤怒の勢いも削れた模様。

 「…怖かっただろうに。」

久蔵は寝てしもうた後だったのだな。
たった独りで よう耐えたの、偉かったぞ?
よしよしと背中を撫でてやり、そのまま立ち上がらせて。
とりあえずは“現場”から離れることを優先させる御主であり。


  「業者に連絡して、明日にでも全面駆除をさせような?」


恐怖は未だ去らず、胸の底が依然としてぎゅうと詰まったままだろに。
それでもお顔を上げ、頷いて見せる健気さが愛おしいと。
こちらも切なげなお顔になって、
励ますように恋女房を見やった勘兵衛であり。



  ――― さて、ここで問題です。
(笑)




   〜Fine〜  10.04.11.


  *いえね、台所で結構大きいの、両親が見かけたと大騒ぎしとりまして。
   今年もそういうシーズンの幕開けなんだなぁと。
   何を大仰なと思うなかれ、ご当人たちはこれ以上なく真剣です。
   加藤さんへ、どうしてアレの説明をしておかなんだと、
   新参者への危機管理レベルへの刷り合わせを徹底させそうです。

  *それにつけても、
   島田さん宅ほど、徹底して清潔に保ってるお宅もないと思うのですが。
   ……もしかしてお隣りさんで繁殖してるとか?

   「濡れ衣です、やめてください。
    ウチは私が考案試作した、超音波撃退装置を使ってます。」

   おや、ヘイさんたら地獄耳。
(笑)
   あ・でも。
   それのせいで逃げ出したのが、どっとお隣りへ、とか?

   「う……。」(おいおい)

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